2017年1月9日(月)

トップページの写真も更新しました。

今年の年賀状は、この写真にしよう、
と用意していたのですが、
諸々の手違い勘違いなどがあって間際で断念。
全然別の絵柄(出来合いのテンプレート)になってしまいました。


昨年の秋、震災後はじめて、
仙台から海沿いの被災地を見てきました。

閖上・荒浜あたりですが、
震災から5年以上経った今も、
荒浜には、流されずに残った荒浜小学校の建物以外、
建物らしいものは何ひとつありません。
そして、家々の瓦礫などが撤去されただけで、
それ以外の一切の復旧復興工事も行われていませんでした。

思えば、自分がこの、荒浜という地名を知ったのは、
2006年にNHKで放送された
『イナサ ~風と向き合う集落の四季~』という番組でした。

『イナサ ~風と向き合う集落の四季~』

※リンクが途切れなければ、
YouTubeでその番組が見られます。

海沿いに続く松林の中に囲まれた中、
ポッカリと存在しているその集落は、
海に向かって吹く風、
陸に向かって吹く風(地元で“イナサ”と呼ばれている)
を利用して、漁業と農業を営む人々が、
そこから豊かな自然の恵みを得て生活している、
ひっそりとした、素朴な、
けれど本当に素敵な理想郷のような場所に思えました。

番組を見て、いつか訪ねてみたいと思っていた
この場所は、自分がその姿を見る前に、
津波によって全てが流されてしまいました。

慰霊碑と観音様が立てられた場所から
集落があったところを見渡すと、
瓦礫の撤去が終わった家々の土台だけが残り、
その間から雑草が伸びているだけです。

小高い堤防を越えてみた海、
そこから戻って見渡した今の荒浜の風景です。

昨年(2016年)の12月の中頃、
NHKの朝のニュースで、
この荒浜のことが取り上げられていました。

何も無くなってしまい、
バスが走らなくなった道の
元バス停があった場所に、
偽物のバス停を作って設置している人がいること。

そして、その復興へのささやかな思いに応えて、
仙台の市営バスが、特別の便を1便だけ運行し、
荒浜に生まれ育った人、荒浜小学校に通った人などを乗せて
以前のバス路線を走った、というニュースでした。

出勤前にこのニュースを見て、
出かける準備の手が止まり、
テレビから眼が離せなくなり、
ついには大泣きしてしまいました。

震災前にテレビで見た美しい風景と
昨年自分の目で見てきた変わり果てた風景とが
この場所に生まれ育った人の思いを通して
改めて自分の胸に迫ってきたのかもしれません。

以前、噴火の後がまだ生々しい三宅島に行ったとき、
その話をした友人は、
『自然が壊したものは自然が元通りにしてくれる。』
と言ったことが忘れられません。

では、人々の暮らしや街はどうなのだろう、
と思うと、あまりにやるせなく、寂しい。

どれほどの長い年月をかけて作られてきたものも
自然の猛威の前には一瞬ほどの時間で
無になってしまうことがあるということを、
この風景とともに決して忘れないようにしようと思います。

“日記”が、いつの間にか“年記”となり、
3年目となりました。

自然に壊されることが無くても、
人間の暮らしは変わっていく。
失うものもあれば、出会って得るものもある、
その変化こそが、生きている、ということ。

年々刻々とリタイア(又は定年によるひと区切り)の時期が
近づいてきているのですが、
今年はそこから先の生き方について、
今まで以上に具体的な計画を立てなければならない、
またそうしたいと考えています。

今まで続けてきた仕事というものから、
離れることもできる“自由”もあるのか、と思うと、
場所や時間など、いままでほとんど絶対的であった
要素からも解放されるわけで、
地理的物質的金銭的時間的なもの以上に、
何をもって気持ちや心の糧として暮らすのか、
ということを対に考えなければならないはず。
これが一番難しいことなのかもしれません。

昨年と較べたら、随分落ち着いた“年記”を書いているかな。

一年の終わりに振り返って、
いい一年だったな、と思えるように過ごしたい、
そのためには、色んなことを先送りせずに
解決し、片付けて、計画していくこと。
具体的なことはもう少し頭の中で整理していこうと思います。

元気だったら、また来年。

2016年3月17日(木)

一年に一度くらい、のタイミングが
お正月からだいぶ遅くなりました。

ようやくこのところ春めいてきて、
暑さ寒さも彼岸まで、の彼岸入りです。

*     *     *

今年は年明けから、波乱の日々でした。

離婚することになったり、
愛猫が亡くなったり、
株で大損こいたり…。

今頃になって厄年の大当たりかと思うほどで、
ストレスのない人、と自分で思ってきたけれど、
さすがにしばらくは堪えました。

何もかも放り出して、蒸発してしまおうか、とか、
いずれリタイアしたらと考えていた、
どこか遠くの田舎暮らしを、
もう今からすぐにでも初めてしまおうか、とか、
アブナい妄想にも取り憑かれたり。

このところようやく落ち着いてきた気がしますが、
気持ちの振れ幅はまだまだ大きくて、
あちこちに待ち受けている“落とし穴”に気を付けつつ
日々暮らしています。

*     *     *

前向きになるには、ちょっと歳取り過ぎでしょ、
というのが気分的にかなり重いです。
でもねえ、愚痴っても嘆いてもトクすることは何もない。
せめて、今からまたやり直せる機会が来たことを
良いことと考えよう、と自分に言い聞かせています。

そんな日々の中で、気分を落ち着けてくれるのは
植物を育て、花や緑を見て、お世話すること。
時間があると、園芸関係のお店やホームセンターに行って
あれやこれやと買ってきては、
毎週何かしら鉢やプランターが増えていきます。

これに喜んでいるのは、クロ(猫)も一緒ですが、
食べられそうな葉っぱを見つけては齧り、
結果、毛玉といっしょに吐き出す繰り返し…。
植物動物の区別のない、「飼育係」の毎日です。

*     *     *

糸の切れた風船のように、
風に乗ってどこかに飛んでいってもいいのだな、
という自由さ、束縛の無さが、
妙にフワフワとした脱力感のようにも感じ、

こんな感覚でいる間は、
考え過ぎることなく、思い詰めることなく、
やりたいことをやりたいときにやりたいようにやって、
のんびりダラダラし続けようと思っています。

それがいつまで続くのか、
その先に何があるのか、
もしかして何もないのか、
今はまったくわかりません。

*     *     *

2015年1月5日(月)

一年一度くらいは更新してもいいか、と思い
生存確認の意味も兼ねて更新することにしました。

生きてます。

昨年は仕事上の立場がちょっと変わったり、
暮れにきて身内を亡くしたり、
いろいろあってちょっと精神的にもしんどい一年でした。

そういう意味で、この新しい年が
そんな環境・境遇から脱することが出来るとは
あまり思えませんが、
というか今後は年毎にしんどくなるのかもしれません。
それでもそれなりに生きていくのだろうと思います。

*     *     *

気づいてみたら、「還暦」なんていう歳も
けっこうすぐそこに見えてきていて、
いや、こりゃまいったな、と思ったりします。

冗談のように言っている場合ではなくて、
本当にあっという間にそんな歳を迎えることになるので、
最近はあれこれとリタイアする時のことなども考えたりします。

これまでと同じ延長線上に生活していくのもつまらんので、
60歳になったら、「リタイア」ではなく、
感覚としては「リセット」を目指したい、
と威勢のいいことを考えたりしますが、
これはこれで、なかなか難しい。

*     *     *

幸いにも今は身体・健康面の不安がないことは
本当に有難いこと。

毎年のように思うことですが、
時間を大切に、やりたいことはガマンせず、
人に優しく自分に厳しく、いつも(出来るだけ)笑顔で
真面目にコツコツ努力を惜しまず生きていきたいと思います。
当たり前のようだけど、これだけで目標としてはメチャメチャ大変です。


元気だったらまた来年。

トップページの写真だけは、もう少し更新したいと思ってます。

2014年1月17日(金)

『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』前野隆司著(講談社)読了。

もうとっくに人生を折り返したけれど、
たぶん、まだ「死」には、もう少し時間がある。

どう生きるか、ということも難しいけれど、
どう死ぬか、ということも難しい。
生き方はある程度自分で選べるが、
死に方は普通なかなか自分で選べない。

何がいつどのように自分に訪れて死に至るか、
ということが自分では何ひとつ決められないのが
やっかいな(?)ことなのかもしれない。

死ぬのはやっぱり怖いよね。
何がどう怖いかというと、
あまりに色々あって、しかも漠然としているから、
そんなことについて、少しでも具体的に考えられるようになるのかも、
という思いで読んでみたのがこの本だった、ということです。

で、どうだったのかと言えば、
やっぱりわかったようなわからないような、
というのが正直なところ。

考え方、という意味ではふむふむなるほど、
ということもあるのだけれど、
納得できるか、といえばそんな簡単に割り切れないでしょ、
ということのほうが多いかな。

で、読んでいるうちに考え始めたのが、
「死ぬのが怖い」というのは当たり前のことで、
怖くていいのだな、ということだった。

そもそも人は死ぬのが怖くて当たり前なのだし、
みんな誰もが怖いと思っている。
だからこそ、そのことを考える。

そして怖いからこそ、あまり考え過ぎないようにする、
怖いからこそ、なるべく避けようとする、
生きながらえようとする、のではないか。

簡単に悟ったように「死ぬことが怖くない」となれば、
些細なことで落ち込んだり、
嫌なことがいくつも重なったり、
逆にもの凄く幸福を感じることがあったら、
生きるのはもうこれくらいでいいか、
と思ってしまうのではないか、と思ったのだ。

*     *     *

いくつまで生きてもいいけれど、
できれば他人の世話にはなりたくない、とか、
ある日ポックリ逝けたらいいな、とか、
もちろん思わないわけではないけれど、
あれこれ考えたって何ひとつ意のままになるわけではない。

何があっても何がおきても、
慌てず騒がず穏やかに受け入れて生きていきたいものだ。
もちろん慌てたり騒いだり心乱してジタバタしても、
結局は「それ」を受け入れるしかないのだし…。

*     *     *

さて、実は、
こんな内容の記事に続けて書くことになってしまったが、
いろいろ思うところあって、これをもって
一時的にこのブログ(サイト)を中断・休止しようと思っています。

「ブログに関しても、いわゆる記録・備忘録の意味を
少し持たせて更新を考えたい。」
なんて年初に書いておきながら前言撤回ということになります。

いつまで休むのか、再開できるのか、
自分でもまったく考えていないのでわかりません。
ポツポツ時々は書くのかもしれないし、
もう全然書くことはないのかもしれない。

とはいえ、ネットから離れるとか、
ここを閉鎖してしまうつもりは、今のところないので、
写真などはボチボチ気が向けば更新するかもしれません。

2014年1月2日(水)

今年はいつもよりも少し長い年末年始の休暇。
なので、けっこうのんびり過ごしている。

以前は、それなりに一年の計画などを考えて、
いくつかは具体的な目標にしていたけれど、
このところそんなことも無くなってしまった。

そんなところもこの結果なのだと思うけれど、
ここ数年(2~3年か)、何事に対しても一所懸命さが無くなっている。
仕事も、趣味も、日々の日常の生活も。

一所懸命の度合い(?)は、数値であらわせるものでもないし、
何かで測ることができるわけでもない。
自分だけが自分で認識して評価するものだ。

どれほど、と決められるものではないけれど、
去年よりはもう少し、とせめて思う。

ブログに関しても、いわゆる記録・備忘録の意味を
少し持たせて更新を考えたい。
何より自分のために書いているのだから。

引越しをして、最初の正月を迎えた。

今まで住んでいた場所よりは日々の最低気温なども、
3~4℃くらは低いのだが、
日当たりの良さもあって、晴天率の高いこの季節は、
日中暖房いらずというのが良いところ。

年末大晦日もいつも通りウォーキングに出て、
一年最後の夕日とシルエットの富士山を見る。

そして元日はベランダからの初日の出を拝む。

この時期、テレビをつけては特番バラエティ類の騒々しさにうんざりして、
中にはBSの自然モノなどでいくつか見ていられるものもあるが、
結局は消してしまうことが多い。

ネットのラジオやCDで音楽を聴いたり、
見ていなかったビデオなどを見て過ごす。
これもこれだけ時間があれば出来ることで有難い。

大晦日には大瀧詠一さんの訃報。
なんとも言い難く残念な思い。

年末には芸術新潮で、つげ義春さんの特集があるのを見つけ購入。
中にインタビューがあり、現在のことが少し判る。

「もうマンガはお描きにならない?」という質問に、
「ハイ。・・・」と返事をされていて、
ほとんど判っていたこととは言うものの、やはり寂しい。

2013年12月19日(木)

12月も後半に入ってきていよいよ真冬の寒さです。
仕事も実質あと一週間。

今年引っ越した家なので、これといった大掃除はないものの、
自分の部屋に関しては、何となくまだスッキリ片付いていなくて、
残った日の中で整理できるかどうか。

年賀状も年末休みの前に発送まで済ませたいのだが、
これもまだ手付かず状態。

*     *     *

書いておこうと思いながら、先送りしているものがいくつかあって、
とにかく忘れないうちにまとめて書いておくことにする。

『ペット・サウンズ』ジム・フジーリ著(新潮社クレスト・ブックス)読了。

この本は、村上春樹氏訳で出た頃から気になっていたけれど、
今回『Pet Sounds Sessions』を聴いたあとで読めたのは、
タイミング的には良かったのかもしれない。

もちろん小説ではなく、
著者の、このアルバムに対する思い入れと、
批評分析のようなものが入り混じった文章。

*     *     *

『Pet Sounds Sessions』のアルバムについては、
パッケージの不良で返品したことを以前書いているが、
その後、すでに廃盤となっている日本版が
オークションサイトに出ているのを見つけて落札済。

で実はこれを聴き始めてから、
自分の中でジワジワとビーチボーイズブームとなり、
ペット・サウンズの前後のアルバムを聴いていっているところ。

同じ時期のビートルズと対比されることは多いが、
自分にとってビートルズのほうは青盤赤盤以外の
オリジナルのアルバムは、手に入れて聴くまでの
興味が深まらないのだけれど、
一方ビーチ・ボーイズというバンドへの思い入れ(?)が、
こんな歳になって大きくなるとは思わなかった。

というようなことを、本を訳した村上サンも
あとがきに書いている。

*     *     *

『ポール・メイエ&アルティ弦楽四重奏団』演奏会を、
文京シビックホールにて聴く。

モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲というプログラム。

クラリネット好き(あるいはクラリネットを吹く人)に、
名曲をあげてもらったら、必ずや含まれるであろうこの二曲が、
同時に聴けるのは嬉しい。

ホールが大きいこともあって、
モーツァルトは、天上から降ってくるような音楽。

ブラームスは渋めの味わい深い曲なのだが、
これが思った以上に繊細に仕上げられていた。

自分の席は比較的前のほうだったのだが、
大ホールのあの大きさでは、
後ろの席や二階席では少し厳しかったのではないだろうか。

クラリネットはどうしても演奏中リードが気になるので、
楽章の合間などで、チェックしたりスワブを通したり
ということがあって普通なのだが、
メイエはこの二曲の演奏中(もちろん間に休憩はあったが)
一度もそうした素振りを見せなかった。

こうした部分までも含め、完全に楽器をコントロールできている
ということでもあって、そんなところもスゴイと思う。

ところで、文京シビックホール、
今回始めて行ったのですが、
場所も便利で、ホールも綺麗で申し分ない。
だだひとつ、残念に思ったのは、座席の座り心地。。。

もう少しゆったりした大きさが欲しいのと、
何より座面の形が決まった姿勢を強いる形状で
座っていてくたびれるのがいただけなかった。
いつかリニューアルの際には見直してくれることを望みます。

*     *     *

『ダンスホール』佐藤正午著(光文社文庫)読了。

新刊単行本で『ダンスホール』が出たのが2011年6月。
買っておきながら読まずに置いてあるうちに、
いくつかの短編を含めた文庫版として出てしまった。
ということでこちらを読むことに。

『ダンスホール』は、何人かの作家による
テーマ『死様』競作として出ているものだ。

このテーマを考えつつ読むと、
なかなかに手強い中編という感じがある。

その他の短編3昨は、若干ミステリー系の味わいを持つ、
著者のここしばらくの作品と共通した雰囲気もあって、
あいかわらず、「恐れ入りました・・・」と言いたくなるような上手さ。
最後に置かれた一編は、実話なのかも
と思わせるような不思議な短編。

ミステリー風な3つの短編は、
主体客体の入れ替わりのような、
読者の立ち位置が突然ワープさせられるような、
不思議な感覚(仕掛け)がところどころにある。

2013年12月18日(水)

『喜嶋先生の静かな世界』森 博嗣著(講談社文庫)読了。

読んでからもう一ヶ月ほど経ってしまった。

何から見つけてきたか忘れてしまったけれど、
面白そうだな、と思ってすぐに書店に行き、
新刊(文庫での)だったのでその場で購入して読みました。

著者については、まったく知識もなく、
読むのは今回始めてです。

文体があまりにも小説的でないことで、
冒頭にちょっと戸惑うことがありました。

そもそもこれは自伝? 小説? それとも
若い研究者に向けた手引きみたいなもの?
と思ったりしたのですが、
ま、そういうことはどこかに置いておこう、と読み進めます。

*     *     *

理系の大学から大学院へと進む主人公の
勉強・研究を中心とした1~2章。

後半の3~4章は、
それに加えて指導を受ける助手の喜嶋先生との交流、
自分自身の恋愛や結婚、喜嶋先生自身のことが書かれていき
少しずつ物語の幅が広がっていきます。

理系的才能が突出した人(喜嶋先生)の、
ちょっとした変人ぶり(悪い意味でなく)が、
なんとも言えないユーモアになっていますが、
さらにそれが、意外な展開からラストに至り、
悲しい印象の結末になります。
このしみじみとした余韻が悪くなかった。

2013年12月10日(火)

北陸旅行編(続き)

福井で「オヤッ」っと思ったことのひとつが、
街のあちこちで見かける「ソースカツ丼」の文字。
福井の名物であるような書き方だ。

自分の記憶では、今まで行ったことのある場所で、
長野の駒ヶ根、そして群馬の桐生でも、
ソースカツ丼は名物だったと思う。

ま、トンカツ自体が全国区の食べ物なのだから、
ソース味にしたものが丼になっていて、
それがどの地域にあっても不思議ではないようにも思う。

ところで、福井に興味を持ったのは、
もともとは司馬遼太郎の『街道をゆく 4巻』だった。
タイトルでは「郡上・白川街道、堺・紀州街道ほか」となっているが、
この中に「北国街道とその脇街道」という紀行文がある。
これはいくつも読んだ街道をゆくシリーズの中でも、印象深かった。

地図と空撮写真で見た福井で、
オッと目をひくのが、しっかりとしたお堀を残した
街なかの一画だった。
ここは間違いなく城址であることが明確で、
しかし、今は城は残っておらず、
そのあとに県庁などのビルが建てられている。

今回ぐるりと周りを歩いてみて、
これだけしっかりとした堀と石垣が残っていながら、
中に真四角のビルが建ってしまったことが、
いかにも残念に思えた。

実際、その後庁舎を移転して、
城を再建する計画も出たらしいが、
結局は立ち消えになってしまったという。

*     *     *

さて、三日目は早々と福井を発ち、
富山へと向かう。

東海道米原から北上して福井、
福井から北陸の海沿いを新潟方面に向かい、
ほくほく線、上越新幹線を乗り継いで、
ぐるりとひと回りして帰る計画だ。

富山は25年ほど前になるだろうか、
一度だけ来たことがあった。
といっても、旅行の帰りに最後の一泊を泊まっただけで、
街を歩いたり買い物をしたり、という時間もなかったので、
ほとんど始めてと言ってもいい場所だ。

残念ながら天気は相変わらずどんよりしているので、
駅からまず路面電車に乗ってみたが、
繁華街にくると、なかなかりっぱなアーケード街があるではないか。

とにかく地方を旅して、アーケード街があれば、
見て歩かずにはいられない。
ここでもさっそく降りて歩いてみる。

「総曲輪」という地名を読めるだろうか?
自分も地図で見ているときは「?」状態だったのだが、
“そうがわ”という読み方をする。

Wikiによれば、
「町名の由来は富山城の外堀が「曲輪(くるわ)」と呼ばれていたことから」
きているらしい。
一番の繁華街であろうし、そしてそれが駅から離れた場所なのが、
いかにも地方都市らしい。

この総曲輪アーケード街はなかなかりっぱで賑わっていた。
そして距離的な規模もかなり大きいと言える。
端から端まで歩いて、さすがに終わりの付近までくると、
シャッターを閉めたままのお店も多くなったが。

アーケード街を抜けて、もう少し歩いていくと、
水のきれいな川が流れていた。
駅近くを流れるのが「松川」というので、
同じ川だと思ったのだが、名前を見ると「いたち川」となっている。

小さな川で橋の数も多いのだが、
それぞれに趣があっていい。
水も雨が降ったり止んだりのわりには澄んでとてもきれいだ。
ゴイサギ、白鷺も川辺で見かける。

何よりも驚いたのは、川岸を歩いた2キロ程度の範囲に、
川辺で湧き水が汲める場所が3箇所ほどあったことだ。
数は多くないが、地元の人らしい人たちが
次々と大きなボトルを持って汲みにきている。

街の奥に聳える大きな山々に、
ほんのひと時雲の切れ間から太陽が差して、
雪の積もりはじめた山が銀色に輝くのが見える。

*     *     *

北陸線の沿線沿い、金沢からは、
すでにかなりの工事が完了している
北陸新幹線の高架線路が並走している。

富山も開業に合わせて、大きな駅ビルが建設中だった。
2015年、運行が始まると、
東京から富山は2時間になるそうだ。
ちなみに今は越後湯沢乗り換えで3時間30分ほどなので、
かなり短縮されることになる。

2013年12月3日(火)

北陸旅行覚え書き

初日(11/29)
東海道新幹線 米原経由で北陸線を福井へ。
途中、余呉湖を左手に見る。大きなため池くらいの大きさ。
司馬遼太郎の『街道をゆく』を思い出しつつ眺める。

このあたりから、晴れていた空がどんよりしてくる。
日本海側の景色へ変化していく。

福井はほぼ完全な雨降りの天気。
風もあって、想像した通りの寒さ。

出歩ける状態ではないので、
食事、買い物をしてホテル投宿。
夜半に雷鳴あり。

二日目(11/30)
朝のうちは雨が残ったが、
予報通り午前中には上がって、晴れたり曇ったり。

どこに向かうか迷いながらも、
福井駅でえちぜん鉄道の駅に行くと、
ちょうど三国港行きの電車が発車するところだった。

改札で「乗ります!」と言って、
切符は後払いにしてもらい、飛び乗る。

1両だけの小さな電車が、
すでに刈り入れを終えて、
ところどころは植えた麦の芽も出始めた
田圃と畑の中をトコトコと走る。
遠くに見える山は雪景色に変わりつつある。

福井駅から終点の三国港までは45分ほど。
駅に降りて、ぐるりと見回すと、
港の施設らしき建物と日本海が見える。

街の中を抜けて歩くと、
先のほうをネコが横切り、
左右の家の窓からネコがこちらを見ていたりする。
港町にはネコが多い、というのはどこも同じだ。

海岸(サンセットビーチと言うらしい)に出てみると、
こんな時期だというのに大勢のサーファーが
海の中を漂って波を待っていた。

東尋坊まで歩けるはず、と海沿いの道を歩きはじめたが、
歩道がなく、危ないというほどクルマは多くないが、
名所旧跡を訪ねたいわけではないので、
遠目にそれらしきあたりが見えるところまで歩き、
写真を撮ってから引き返した。

街歩きをする前に腹ごしらえだ。
ここに来て海の幸を食べるとするなら、
何を置いても『蟹』ということになる。

歩いている人など、ほとんど見かけないような場所なのに、
蟹などの海の幸を出すお店(食堂)は、
ビックリするほど賑わっていた。

最初に入ったお店は店内で待つ客が多く、
近くの別の店を覗くと、
ちょうどひとつ空き席があったので、そこに入る。

注文したのは『せいこ丼』。
蟹の漁は11月中旬から解禁となる。
「せいこ蟹」はメスのズワイ蟹で、サイズは少し小ぶり。
卵(外子と内子)を持っているので、
蟹のほぐし身の他にそうしたものが載り、
さらに茹でて剥がした、味噌のついた甲羅が二枚載る。

運ばれて来る前に、それとなくあたりを見る(聞く)と、
あちこちから中国語らしき会話が聞こえてくる。
団体では無さそうだし、それぞれ個別の旅行客なのか、
ちょっとビックリしたことのひとつ。

本場の蟹はさすがに美味かった。
ワシワシとあっという間に平らげてしまう。

三国はその昔、北前船の寄港地でもあり、
廻船で栄えた土地であったらしい。
また高見順の生家があったり、
三好達治が大戦中疎開をきっかけに5年ほど住んだという。

今は「東尋坊」と「蟹」という観光資源で
それなりに栄えている(寂れていない)印象だった。
繁栄していた頃は遊郭街もあり、
それらしい雰囲気の街並みも残っている。

あまり下調べもせず、ガイドブックも持たずに
行き当たりばったりで来てしまったので、
歴史的な建物などを周りきれなかったのは少々残念。

カメラは色々迷った末、
今回もMAMIYA6でスクエアフォーマット。
ただ、三国の街なかを撮影しながら歩き、
ここは35ミリにしたかった、と少々後悔した。

翌日は富山(気が向けば後編)。

2013年11月26日(火)

朝、上りのプラットフォームで通勤の電車を待つ

電車を待つ人たちで駅は混雑している

向かい側にはガランとした下り線のフォーム

そこに乗客もまばらな電車が到着する・・・

これはいつもの自分の通勤時の光景、でもあるし、
映画の『エターナル・サンシャイン』の冒頭シーンでもある。

映画では、主人公が突然思い立って走り出す、
高架橋を渡り、階段を駆け下りて、その空いた下り列車の
閉まりかけたドアを割って乗り込む・・・。

いつもこの光景を見ながら、この映画のことを思い、
いつか、自分もこんなことをしてしまうのではないか、
いや、こういうことをしてみたい、という思いに駆られる。

*     *     *

「悔いなく生きる」というが、それはあまりに難しい。

つまり、やりたいこと、したいこと、
行きたいところ、見たいもの・・・、
そうしたものは際限ないわけだし、
こちらを立てればあちらが立たない、という状況はいくらでもある。
どうやったってその欲望を満足させられることはない。

ということは、
欲張りな人間ほど、悔いは残るのか。

*     *     *

ジャイアンツから小笠原選手がドラゴンズへ、
ドラゴンズから井端選手がジャイアンツへ、
カープから大竹投手がジャイアンツへ・・・、
今年のオフも色々な形で選手の移動がある。

あれだけのコマを持ちながら、
FAで大竹投手を取ったのは何故なのか、
ちょっとギモンがないこともないが、
年齢的にも今年の状態からも、
今がピークの選手であろうか、というのはある。

もうひとつは、明らかにピークを過ぎて
この一年もほとんど目立った活躍のない、
小笠原選手を、あの落合GMが取ったのは何故なのか。

とは言え、活躍できるのであれば、
その姿を見てみたい選手ではある。
しかしセリーグ球団だからなあ、守るポジションがあるのだろうか。

«2013年11月13日(水)

無料ブログはココログ